週刊新潮のベッキー擁護記事について

週刊新潮のベッキー擁護記事について

芸能人ベッキーの不倫騒動についてですが、ここにきて、週刊新潮がベッキーの擁護記事を掲載したようですので、詳細を見ながら考えて行きたいと思います。

ベッキーに罪なし!「週刊新潮」の“擁護記事”は事務所に頼まれた!?
http://www.asagei.com/excerpt/53414

記事を抜粋するとなれば、やはり以下の点に要約されるでしょう。

「これによると、川谷のほうからベッキーに迫ったこと、恋愛経験の少ないベッキーは素直に川谷の言葉に従ったこと、川谷の実家に行くことにベッキーが後ろ向きだったことなど、ベッキーを擁護する文面がこれでもかと並んでいます。事務所の内情が詳細に書かれていることからも、事務所が新潮に持ち込んだのかもしれません」(週刊誌記者)

「いくらライバル誌(=週刊文春)のスクープ記事へ対抗しているとはいえ、あまりにも内容がベッキー寄りすぎる。」

いうまでもなく「不倫」とは、男女交際している当事者の一方または双方が既婚である場合の、不適切な男女関係を呼称する言葉です。また「不倫」に発展する状況上、既婚の側の夫婦関係がうまく行っていないのはありふれたことでしょう。

川谷絵音が、妻と別れたい願望を不倫相手のベッキーに語るのは「ごく普通」のやりとりですし、そういった関係性や心情をひっくるめて「不倫」は不適切な行為であるのですが、

  • 「週刊新潮」の記事を読んだ読者は、ベッキーが川谷絵音に騙されたのだという感情論に誘導されていく

と思います。「週刊新潮」の記事は明らかに、芸能界における利益や損失を踏まえた上で書かれたものでありますし、情報操作や世論操作に相違ないのです。

ベッキー本人の意思がこの「情報工作」に関与しているかどうかは不明ですが、私たちはまたしても「権力の嫌なもの」を見せられているわけであり、とても残念だと言わざるを得ないでしょう。

  • ベッキーは社会から「不倫行為」そのものを責められているのではなく、彼女が世に放った「隠語(仄めかし)」の残忍さを批難されているのです。

ですから、今回の「週刊新潮」の記事は、ノイズ・キャンペーンであり、問題のすり替えであり、一般感情のかく乱工作であると見るのが正しいと思います。

ベッキーが創価学会などの「権力」から自由になれる日は、彼女のすぐ傍にあると私は思っているのですが、さてこの不倫騒動、これからどうなって行くのでしょうか。

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