植松聖容疑者が引き起こした惨劇の背景

植松聖容疑者が引き起こした惨劇の背景

息苦しくなるような事件が起こりました。

相模原殺傷 首ばかり狙い刺す

知的障害者施設「津久井やまゆり園」が襲撃され、入所者19人が死亡、26人が重軽傷を負ったという前代未聞のこの事件。犯人は何を思い、なぜそのようなことを行ったのか。

ニュースやネットの記事などは一通り皆さんもご覧になったと思います。関連記事にリンクを貼ってもきりがないので、詳細は関連記事をご覧になって下さい。

この植松聖容疑者、ツイッター(@tenka333)や Facebook のアカウントがあったようです。ツイッターで検索したものの一部を掲載します。

tenka333tw

注目したのは

「植松聖容疑者がフォローしているアカウントの大半がトルコ人」

という投稿です。見ると本当に、見事にその通りになっています。

私にも経験がありますが、私がまだ、ツイッターの正体がわからずに、「盗聴」「盗撮」内容を含んだ仄めかしなどの誹謗中傷に悩まされていたころ、これは見るに耐えないなと思って、日本人のフォローを全部やめ、よく内容のわからない外国人ばかりをフォローしてみたことがあります。

※ストーカーは大変しつこくうるさいので、私の現在のツイッターアカウント(@snsstalker)は、一部を除き他人をフォローしていない発信専用です。

直感で、これは植松聖容疑者にも同じことが起こっていたんだなと。SNSを通じて目に飛び込んでくる情報には、悪意を含んだ「作為的なもの」が数多くあります(というよりそれがほぼ全てです)。それらに悩まされていたようです。

この容疑者は、

「会話している相手の言うことを聞かない」
「自分の主張を曲げられ激高した」

記事のなかで、このようなことが書かれています。近い人たちの話などから見て、元々この人物は「ごく普通の青年」だったことがわかります。それが、入所者に暴力を振るうようになっていった。なぜ、そうなってしまったのでしょうか。

「相手の言うことを聞かない」という行動は「拒絶反応」です。嫌なことがあり、それを排除したいという行動です。嫌なことばかり続くと、人はだんだん周囲の全てを拒絶し孤立していきます。そして「反抗」します。このような心理は人間のごく正常な心理で、むしろ我慢すると抑圧されて余計に危ないものです。

私は、植松聖容疑者がSNSの影響を強く受けていたと考えています。
SNSにおけるストーカーの攻撃は、「仄めかし」のような「受け手責任の曖昧な言葉」のなかに、

ターゲットとなる人物が精神にダメージを受ける事柄を、暗喩的に織り込む

ことで行われます。攻撃側の論理では、そのようにして発生した精神的なダメージは、「情報を目にした人の責任」つまり「受け手責任」なのです。暗喩表現は間接的で、ターゲットを指しているという証拠を残さない形式のものです。また、「受け手責任」を主張する人たちは、ターゲットがその攻撃行為に耐え続け、受け入れない限り、決して攻撃の手を緩めないという特徴があります。

「暗喩的な仄めかしの言葉」は、「宗教」です。例えば「幸福」や「平和」のようなテーマに沿っていて、「洗脳」という行動によって、価値観が刷り込まれていくものです。人の個性は潰され、一定の思想への服従が強いられるようになります。日本のSNSにおいてこのような行動を行うのは創価学会だけで、ツイッター上での嫌がらせの正体も、全て創価学会です。イルミナティはいないけれど、創価学会員はツイッター上に常駐しています。それは「国民の飼いならしを目的とする監視」です。

植松聖容疑者が「世界平和」を口走るようになったのも「殺人衝動」にかられたのも、宗教的な工作作業による精神的な影響と思われます。衆議院議長公邸に出した手紙からも、非常に宗教的な偏向思想が見て取れます。

偏向思想にベクトルが向いた原因は、SNSを通じた創価学会からの思想要求に遭遇し、個性や人格を潰されないための方向に舵を取る必要性が生じて、その方向を見誤ったものであった

私はそのように分析しています。

一般の方々は、ツイッターなどの SNS を利用なさらないことをお勧めします。この事件は、ツイッター百害あって一利なしの典型的な例です。皆さんは、創価学会からの洗脳に服従したいですか。または創価学会に反抗することによって「大量殺りくの犯人」になりたいですか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です